みなさまこんにちは!ゆみです。

今日の “ひとりごと” は、
「還暦のCOBOLと私」についてです。

私は今日も、SIerで働いていますが、
「システム業界の入り口」となった言語が、
商業高校で学んだ “COBOL” です。

そのCOBOLが、誕生60年との記事が今年の春ごろにありましたね。

私が学習した当時は、
「あと10年もしたらCOBOLはこの世から無くなる言語」と
教えられましたが、しかしそれからさらに10年の
月日が流れ、今年でなんと60歳に。

 
ここで少しだけ、私のCOBOLとの出会いを書くと、
出会ったのは商業高校での授業でした。

当時の出会いは「最悪」そのものでした。

そもそも、商業高校へ入学した目的は
「インターネット技術を学びたい」でしたが、
入学直後から情報処理の科目ではCOBOLを
週5単位も学ばなくてはいけませんでした。

興味が無いことにあまり力を注げない私としては
夏まで、拷問のような時間を過ごしました。

その甲斐もあり、1年の1学期に
学科のテスト平均が80点越えのところ、
私は32点と、見事に赤点を叩き出しました。

ここでやっと負けず嫌いの血が騒ぎ、
非常に遅いスタートを切ったわけですが、
学んでみると意外と面白く、翌年には
プログラミング競技会(予選)へ出場するほど、
COBOL言語の腕を上げました。

 
COBOLの生みの親は女性エンジニアだとは
Web記事を読んで初めて知りました。

 
【COBOL生みの親は女性エンジニア、田中角栄が普及を後押し】
https://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_–_375065_–_29285_–_6

 
皆さんが初めて学んだ言語は何でしょうか?

学ぼうとした経緯を、LT(ライトニングトークス)などで
熱く語ってみると、思わぬ振り返りとなるかも知れませんね。